vol.53 会津学院を彩った生徒たち③

今回は、内に秘めた闘志をテーマに書いてみます。

K君は以前にもこのコラムに登場した生徒ですが、性格が穏やかで周りの人に気を使える男の子でした。ちょっとのんびりしたところがあり、面談をした時などにはもう少し気持ちが前面に出ればいいのになぁ…。と感じないこともなくはありませんでした。結局K君は早稲田・慶應の5学部に合格し、慶應に進学しました。大学生になって、学院の生徒の前で話をしてくれていた時のことでした。

その話の中でK君は「去年落ちた大学名を書いた紙を自室の机の前に貼っておくことで、落ちた屈辱や悔しさを忘れないようにして一年間気持ちを奮い立たせていた」と言いました。私も初めて聞く話で、K君の意外な面を知り、驚いてしまいました。

次はKさんという女の子の話ですが、彼女は少し“天然”が入ったのんびりした性格の持ち主でした。冬に実施した三者面談の時にKさんのお母さんが、Kさんが12月の時点でもお風呂に2時間も入っているが大丈夫なのかと私に聞いてきたこともあった程でした。

普段の面談の中で彼女に志望大を聞くと「早稲田」と答えましたが、少なくともその時の私にはKさんに早稲田にどうしても行きたいオーラは外見からは見てとれませんでした。

その後Kさんは第1志望の早稲田に合格を果たしました。その合格祝賀会で、Kさんがみんなの前で「私ほど早稲田に行きたいと思っている人はいない、自分は日本一早稲田が好きな人だと思って勉強していた」と話した時は、私を含めた周りにいたみんながビックリしました。誰も彼女のことをそんな強い意志を持っている人ではないと思っていたからです。燃える闘志をやたらと人に見せない立派な2人でした。(つづく)

vol.52 会津学院を彩った生徒たち②

今回は、最近の生徒の代表格であるI君の話を書きます。

実は何度かこのコラムでI君のことについて書いた事がありますが、彼ほど「今の成績はどうであれ絶対諦めずに正しく勉強すれば最難関大学にでさえ合格できる」という学院の基本精神を具現化した生徒はなかなかいないので、また登場してもらうことにします。

高1(葵高)の最初から学院に通っていた彼は、運動部に所属していた明るく元気で素直な男子生徒でした。ただ、部活に熱中しすぎたためか、学業では学年318位(320人中)なんて成績をとるほどでした。(それでも部活もしてなくて学年ブービーの私よりはかなりましですが…)彼のすごいところは、そんな成績でも「僕が後で大物になった時のネタになる」と言い放って、成績が悪い事などまるで意に介さないところでした。その最たるエピソードは、学院出身で早稲田や慶應に合格した先輩たちにI君たちの前で話してもらった時の事でした。

先輩の話に感動したI君は、次の日私に真顔でこう言いました。「先生、昨日の夜、僕が早稲田に受かった時、後輩に話す内容を考えていたら寝つけませんでした。」こいつはただ者ではないと思いました。プラス思考の持ち主を自認する私も、彼の『超』のつくプラス思考にはただ感心するばかりでした。

その後の彼の活躍をもう一度書きますと、高3の夏部活を引退してから0から始めた日本史が、秋の模試で校内1位を取り、その勢いで中央大学に現役合格を果たしました。それだけでも十分まわりの人たちに衝撃を与えたのですが、彼のとどまる所を知らぬ向上心から中大に進学せずに早稲田を目指し、学院の高卒部に通い昨年みごと早稲田大学への切符を手にしたのでした。前回のS君と並んで学院の後輩への影響力はNO.1です。

彼は今、鹿児島から自転車に乗って1人で日本縦断中です。今日(8月23日)現在、新潟と山形の県境ぐらいにいるそうです。さすがI君、さらなる活躍を期待しています。(つづく)

vol.51 会津学院を彩った生徒たち①

今回から何回かにわたって過去の印象深い生徒について書きたいと思います。トップバッターは彼なしには会津学院は語れないS君です。中学3年時の英語の評定が5段階で2だったので会津高校入学と同時に入塾してきました。市外出身のせいか、のんびりしている素直な生徒でした。

マイペースながら勉強し続けたかいがあって英語まずまずでしたが、他教科の勉強はほぼ皆無でした。現役時代の受験校は学習院と明治でしたが、高校の三者面談では2浪してもムリと言われたそうです。そこまで言わなくてもと内心思いましたが、日本史は本番のセンター試験で28点(ほとんど確率論)という点数をとり、そのまま学院の高卒部で浪人することになりました。彼のよいところは勉強を苦しい顔一つせず淡々とこなしていくことでした。

この年の高卒部のメンバーは例年以上にみんな明るく仲良しで(現在でも頻繁に飲み会などをやっているようです)、いい雰囲気が漂っていました。彼はその年のセンター試験で英語194点(200点満点)、日本史94点(100点満点)という高得点で大学は上智大学の外国語学部に進学しました。英語が難しいことで有名な所です。

話はこれで終わりません。S君は大学1年の夏休みに帰省して毎日塾を手伝っていましたが、その時に学部がどうしても自分に合わないので、再受験をしたいと言ってきました。時期はもう9月も終わりかけていたので、得意である英語の配点が大きい慶應を第一志望に勉強を開始しました。

センター英語では前年の194点を上回る196点という高得点をあげ、入試の結果は早稲田と慶應にW合格を果たして早稲田大学法学部に進学しました。学生の間全ての長期休暇には必ず帰省して(それもほぼ休み期間全部)塾の手伝いをしてくれました。彼に影響を受けて早稲田や慶應などの難関大学を目指し合格した人は沢山います。S君は本当に学院にとってかけがえのない生徒です。現在は東京で大学職員をしています。

今年の夏に彼が主催して会津学院歴代出身者でキャンプをする予定です。(学院は伝統的に縦の繋がりも強いのです)その日が楽しみです。
(つづく)

vol.50 祝50回記念!

このコラムも今回で50回、思ったより“ネタ”があって続いています。これからは100回を目指して書いていきたいと思います。このコラムの特徴である自虐ネタが最近は減っているようなので、今回は原点に戻って書いてみます。高校~浪人時代の自分のだらしなさは以前何度も書いたのですが、大学入学以降もその性格はなかなか直りませんでした。大学の勉強はもちろん、バイトさえまともに出来ないダメ人間でした。

始めたバイトを1日で辞める、1日辞め、バイト初日の昼休みで帰ってしまった、半日辞め。日払いバイトの受付で履歴書を出して待っている間帰ってしまった、まだやる前辞め…なんてことも。(どんだけダメ人間だったんだろう、自分のことながら情けなさを通り越して笑いさえ出てきます。)結局その後、バイトはほとんどしません、いや出来ませんでした、怠け者で。

その頃漠然とこんな体質で就職してやっていけるのかなぁって思っていました。もし就職していてもちょっとキツいノルマがあったり、うるさい上司がいたらすぐに辞めてしまったのではないかと思うぐらいの精神力しか持ち合わせていなかったと思います。フリーターやニートといった“時代の最先端”を突っ走っていたかもしれません。

今時の若い者は…なんて決して言えないようなことをしていました。もし現在人並み程度の社会人と言ってもらえる立場になっているとするなら、それは東京時代一緒に塾をやろうと声をかけてくれた幼稚園以来の友人のおかげに他なりません。何もわからないいいかげんな私に、文句を言いたい時もあったと思いますが、何も言わず一緒に仕事をやってくれました。

その優しい“リハビリ期間”があったために私は無事社会復帰出来たのだと思います。いきなり厳しい環境に放り込まれたら逃げ出していたに違いありません。勉強にも同じことが言えます。全く勉強をしていない人に色々難しい注文をつけてもうまくいかない場合が多いと思います。

高校生でも机の前に座ることさえ苦痛な人だっています。(私がそうでした。)その程度我慢できなくてどうする、といった声が聞こえてきそうですが、人間そう理屈通りばかりにはいきません。

そういう人は理解する、よく考える、といったレベルの高いことはひとまず置いておいて、まずは机の前に座ってみる、憶えるだけでいい英単語をやってみる、難しいことは考えず問題集に答えを書き込んでみる、声を出してそれを読んでみる、飽きたら無理せず休憩をとる、再び20~30分の短い時間でいいからやってみる…といった出来ることから始めることが重要です。

何度か書きましたが、大切なのは中断せず毎日続けることだからです。勉強が苦痛という気持ちが少しずつでも和らいできたらシメたものです。現状からの脱出はすぐそこです。(つづく)

vol.49 点数は取れるところから

「古文が受験科目にあるが、苦手でヤル気が起きない」「理系なので数学が必要だが、不得意で時間がかかりすぎて困る」こういった声多いですよね。文系だから古文が、理系なので数学が大事といった先入観をいだきがちですが、自分の志望校の配点をよく調べてみて下さい。

古文は私立文系の場合でさえ総配点8%程度です。(私文の典型的な配点は英語150点、国語100点、社会100点で、国語100点中古文の配点は30点程です。)本当に苦手で勉強が進まず他の教科にも影響を与えているようなら古文は単語程度の勉強にして英語や社会に時間をかけるのが賢明です。数学では国立理系でも2次試験に数学がなければ思った程配点が高くない場合も多いです。

例えば山形大理学部では総配点1500点中200点、埼玉大理学部でも同じく1600点中200点が数学です。両学部とも数学は総配点の12~3%にすぎません。この場合も数学が好きではなくヤル気がなかなか起こらないなら、まず他の教科をやるべきです。とりあえず勉強を進めることが一番だからです。大切なことは志望大学の過去問を丁寧に研究し、難易度、配点等をよく考え、勉強していくことです。

主要3教科(英・数・国)を特別扱いしないことも大事です。語弊があるかもしれませんが、入試は点取りゲームの側面があることは否定できません。つまり点の取りやすい教科から手をつけて、固めていくというのも一つのやり方です。最悪なことは英数国、つまり点数が上がるまでに時間がかかる教科にこだわりすぎて、点数の取りやすい理社に手が回らない、しかも英数国もダメというパターンです。特に受験科目数の多い国公立大志望の方や、全体的に成績がふるわない人はこのパターンに陥らないように注意して下さい。

受験は総合点、数学の10点も社会の10点も同じ価値なのです。(つづく)

vol.48 SVOCを確認しよう②

前回のコラムで『中学英語を押さえていることを前提に…』と書いたら、どの程度で中学英語が出来ているという事になるのか?といった質問があったのでそれに答えたいと思います。

〈英訳せよ〉〈合格点8問以上〉
①ここから駅までどれくらいあるか知っていますか。
②あなたはそのパーティーに何人招待されたか知っていますか。
③父が昨日京都で撮った写真はとても綺麗だ。
④私は君に宿題を手伝ってもらいたい。
⑤誰がそれを君のお姉さんにあげましたか。
⑥彼はいつから日本に来ていますか。
⑦木の下にあるベンチに座っている女の子をご覧なさい。
⑧日本ではフットボールは野球ほど人気がない。
⑨私達の国には訪れるべき美しい場所が沢山ある。
⑩英語を話すとき、間違う事を恐れてはいけません。

〈答え〉
①Do you know how far it is from here to the station?
②Do you know how many people were invited to the party?
③The pictures which my father took in Kyoto yesterday are beautiful.
④I want you to help me with my homework.
⑤Who gave it to your sister?
⑥How long has he been in Japan?
⑦Look at the girl sitting on the bench under the tree.
⑧In Japan football isn’t more popular than baseball.
⑨There are many beautiful places to visit in our country.
⑩Don’t be afraid of making mistakes when you speak English.

これらは全て中学生用のテキストから抜粋したものです。私の経験から判断すると、10個全問正解出来る中学生は非常に少ないと思われます。高校生でさえ、スペルミスは許した場合でもかなり少数派でしょう。意外に中学レベルの英語をびしっと決めるのは難しいものです。

『中学では英語が出来たのに』という言葉をよく耳にしますが、ちょっと厳しい言い方をすれば『出来た』と勘違いしている人も結構いるような気がします。中学英語を復習する時の教材は中学時代塾に通っていた人なら、そこで使用していたテキストが最適です。(教科書準拠を除く)巻末に英文がまとまっている場合が多いのでそれをまず暗唱しましょう。基礎力がつくことは保証します。(つづく)

vol.47 SVOCを確認しよう

仕事の関係上、英語に関する質問をよくされます。「何が一番大事?」「どうすれば英語が出来るようになる?」英語は大学受験では不可欠の教科なので、巷にもこういった質問に対する意見が大量に出回っています。「何度も音読する」「スラッシュを入れて左から右へ読む」「各パラグラフのキーセンテンスを見つけ出せ」…等。

どのアドバイスもある意味正しいのですが、それをやる時期、つまりその時点での英語力次第で、あるアドバイスが毒にも薬にもなります。

中学英語を押さえて、英単語集を70~80%程度覚えているという前提で(この2つを固めておかなければ大学受験英語という土俵に上がってさえいないと思って下さい)アドバイスをします。まずは何と言っても5文型に代表される、英文法、構文といった英文の仕組みを理解する学習です。

英文の仕組みを理解しなければ、大学入試レベルの英文を短期間、つまり高校3年間で読めるようになるのはほぼ不可能です。とりあえず文型を自力で判断出来るように訓練して下さい。英文読解はつきつめれば品詞チェックをすることです。英文のどの部分が名詞なのか形容詞なのか副詞なのかを見分けることが出来るかどうかが、英文理解のカギになります。

大学入試英文の長文化傾向のためか、1文1文をきちんと分析したり、全訳をしたりといった学習法が影をひそめつつあります。あくまでも私見ですが、「英文を素早く読んでイイタイコトを読みとる」といった美名のもとに学習した結果、キチンと英語が読める生徒の割合が年々少なくなっているような気がします。

最後にある有名な翻訳者の言葉を引用します。「結局、英語を正しく理解しているか否かを知るには、訳してみる以外に方法はないのです。『英語を英語のまま理解する』とよく言われます。それは最終目標としては正しいのですが、少なくとも日本語を母国語として育った人間について言えば、おそらく正しく訳せないものは絶対に理解出来ないと思います。」すばらしい言葉。

まずは英文のSVOCを確認し、英文を正しく理解しよう。(つづく)

vol.46 ライバルを持とう

ライバルを持とう数年前高卒部にいた葵高卒の2人の男子生徒の話をします。

高校時代は野球部に所属していた仲の良い2人でしたが、勉強のことになるとお互いをライバル視し、時には慰め合い、時には罵倒し合いながら(笑)励んでいました。

模試の成績どころか、日々のチェックテストの出来具合でさえ競い合っていました。2人とも英単語・構文・日本史などのチェックテストはほとんど満点で、チェックテストに関してはこの2人を注意したことは年間を通して一度もありませんでした。

高校時代は野球に熱中し(?)勉強の方はおろそかになりがちだった2人ですが、その後、成績を爆発的に伸ばし、1人は早稲田大学、もう1人は慶應義塾大学とまさに“ライバル”大学にそれぞれ合格を果たしました。

この連休に塾に2人で遊びに来てくれ、早稲田の彼からは『三菱東京UFJ銀行』に内定した(すごい)との報告を受けました。その後で、2人に今年の高卒部の生徒へ話をしてもらいました。生徒の非常にヤル気になった顔が見てとれました。

改めてお互いを高めあうライバルは必要だなと感じた1日でした。(つづく)

vol.45 まずは一歩踏みだそう

まだ葵高校が会津女子高だった頃の生徒の話ですが、その女子高生は高3の4月に入塾しました。当時流行のルーズソックス、ミニスカート姿、時代の最先端(?)を突っ走っているような女の子でした。志望大学を尋ねると「四大に行きたいけど、私の成績じゃ無理だから短大かな」との返事。

英語の成績を聞いてみると、なるほどさっきの発言は決して謙遜ではないな、と思う程の成績でした。ちゃんとやればどこでも行けるよ、と私は声を掛けましたが、夏ぐらいまでは決して真面目に取り組んでいるとは言えない彼女でした。それで彼女にいつものように英単語の重要性と覚え方をあらためて話したら、「本当に私でも出来るようになる?」と言ってきたので「もちろん。とりあえず深く考えないでやってみよう」と答えました。

1ヶ月程過ぎたある日に、学校が終わってすぐ塾に飛んできた彼女が、「先生、私今まで英単語なんて覚えられたことなかったけど、言われた通りやってたらだんだん覚えてきた。面白くなってきた」と言ってきました。英単語覚えによって向学心に目覚めた彼女は社会のアドバイスも求めてきました。

もう秋口だったので政経をやるように言いました。すると彼女は政経もモーレツにやりだしました。そして多少自分に自信がついたのか明治大学に行きたいと言い出しました。その後、彼女はさらに勉強に燃えて、冬休みなどは朝から晩まで塾にこもって勉強していました。

あんなにオシャレに気を使っていた彼女でしたが、その頃は学校のジャージ姿で髪を振り乱し、「先生私昨日お風呂に入ってないから近づかないでね(笑)」と言う程までに変身していました。結末は皆さんの予想通り、みごと明治大学に合格しました。

その年、うちの塾から早稲田や上智にも合格者が出ましたが、もちろん私の中でのMVPは彼女でした。肝心な勉強をしないで、考えているだけでは時間がムダになるだけです。そう、まずは一歩踏み出して勉強を始めてみましょう。(つづく)

vol.44 センター試験受験記

今年も受験しました、センター試験。初めてセンターを受けたのがまだ東京に住んでいた平成4年1月、前年に生まれた娘はまだ5ヶ月でした。世間で言われている通り、月日の経つのは早いもので、その娘が今年は大学受験生、センターを一緒に受験しました。

受験会場での席は私のすぐ前。(センター試験の席順は50音順なのです。)ついでに書くと娘の両隣りと私の左隣りは偶然にも学院の生徒で、また、同じ教室内には他に何人か塾生がいて「塾みたいだね」とか言って娘や塾生達はとてもリラックスしていました。地歴は娘と同じ日本史Bを受けました。今年は例年より解きやすい感じを受けたのでちょっと安心して解答しました。ウチの高卒部には日本史B受験が多いからです。

20分位余ったので見直しをしている時、何気なく顔を上げると娘の解答用紙が見えました。その中に一箇所気になるところがありました。その問題を確認すると岩崎弥太郎がらみの問題でした。その前の日曜日に一緒に見たNHKの大河ドラマを思い出せば、簡単にわかる年代並べ換え問題でした。「うぁー何やってんの。日曜日テレビで見たじゃん。」思わず心の中で叫びました。

でも娘は最後まで気付きませんでした。帰りの車の中でその問題のことを娘に言ったら「きぁー、しまったぁ」と絶叫してました。娘と一緒に受験する年齢になってしまったんだなぁと思った今回のセンターでした。次の目標は孫との受験です。(つづく)